被災地へ

能登半島地震発生から20日後の1月21日、benchから石川県被災地にてボランティア活動に参加しました。

活動場所は、金沢市の石川総合スポーツセンターでした。
初回の活動は、日本介護支援専門員協会が準備していた宿泊施設を利用して1泊2日、自家用車での移動としました。

当日、現場には主に福井県を中心として全国各地から20名近くのケアマネージャーが終結していました。

災害ボランティア未経験者が殆どであり、日夜状況が変化する中で一つ一つ手探りの状態で活動は進んでいきました。
主に、一時避難所とされる体育館内で避難されている方の中から支援や介護が必要とみられる対象者の方に対し、聞き取りや他の専門職チームと協働し対象者の情報を収集すること、また必要な支援や施設等につなげるマッチング作業等を行いました。

体育館内、寒さはさほど感じられませんでした。報道でこれまでも目にしてきた、緑色のテントが整然と並び、中央付近にはテーブルや椅子が並べられ数人の方が談話していました。シャワー室やトイレは共用で設置されていました。
体育館の入口付近には様々な専門職チームの待機場所が設置され物々しい雰囲気が漂っていました。それぞれの専門職が職種別に色分けされたベストを着用し体育館内を往来していました。全体を覆う雰囲気や状況にまとまりがなく、現状を抵抗なく受け入れるには努力が必要でした。

午後、支援や介護の対象者とみなされた方の情報収集のため、テント内へ伺った時のことです。
その方の息子さんとみられる方が、力なく段ボールで作られたベッドに横たわっておられました。「これからについてどう考えていますか?」といった趣旨の問いかけに諦めの表情や言葉が返ってきました。確認・質問事項はある程度マニュアル化されていたこともあり、恐らくここへ来てから幾度となく投げかけられてきた質問だったのだと思います。
最低限の生活もままならない状況の中で、これからを問うことの残酷さに気付き動揺しました。遂行せねばならないことと倫理観との間で惑いました。
他にも、身内を亡くし天涯孤独の身となった高齢者の方や、介護者のハンディキャップにより協力を得られない方、奥能登へ戻ることを強く望む方など、様々な立場や思いをどなたも抱えていました。

その後も数日に分けて、benchから被災地支援に参加させていただきました。
ケアマネージャーだけでなく、様々な専門職が懸命に取り組んでいますが、新たに一時避難所に避難してくる人が後を絶たず、行き先の決まらない方も未だ大勢おられます。
報道では伺い知れない現状が、目の前の課題として立ちふさがっています。
それは、専門職に限ったことではなく、すべての日本人にとってのこれからの課題なのだと思います。


まだ先のみえない被災地支援ですが、被災された方々が一日でも早く通常の生活に戻っていくことができるよう祈りを込めて、今できることを継続していこうと思います。


                              Ⅿ と K

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